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書評エッセイ 育児と家事という垣根を越えて: 日本におけるフェミニズムの最新研究 (Book Review Essay: Beyond the Confines of Motherhood and Home)

本文は以下の書評エッセイの日本語訳である: Hastings, Sally. “Beyond the Confines of Motherhood and Home: Recent Studies of Japanese Feminisms.” The Journal of Asian Studies 78.4 (2019): 929–936.

*引用の際は、原文のページ番号を参照のこと

サリー・ヘイスティングス「書評エッセイ 育児と家事という垣根を越えて: 日本におけるフェミニズムの最新研究」

ジュリア・C・ブロック・加野彩子・ジェームズ・ウェルカー編『日本のフェミニズムを再考する』(Rethinking Japanese Feminisms, University of Hawai’i Press, 2018).

加野彩子著『日本のフェミニスト論争: 性・愛・労働をめぐる闘争の一世紀』(Japanese Feminist Debates: A Century of Contention on Sex, Love, and Labor, University of Hawai’i Press, 2016).

アン・ザカリアス=ウォルシュ著『私たちの組合・私たちの自己: 日本のフェミニスト労働組合の勃興』(Our Unions, Our Selves: The Rise of Feminist Labor Unions in Japan, ILR Press, 2016).

翻訳者:堀川暢子

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1980年代以来、日本の女性に関する書籍は豊富に出版されてきた。しかし、それらの多くは、日本の女性全てを単一のカテゴリーとして扱うか、現実の女性の行動や思考よりも、女性の表象について考察するものが中心であった。また、国家政策の標的としての女性について書かれたものも多い。このような状況において、「フェミニズム」または「フェミニスト」という語を表題に持つ日本研究書が、2016年から2018年という短い期間に、三冊も相次いで出版されたことは、驚くべきことである。これらの研究書は、日本の女性たちが自身を定義し、自らのために行動するための努力が、真剣に受け止められていくであろうことを示すものである。この三冊の本は、どれも「日本のフェミニズム」に焦点を当てているが、その内容は大きく異なるため、三冊を併せて読むことによって、フェミニズムという概念が内包する多くの論点や、フェミニズム研究の多様性や、フェミニスト活動家による成果を発見し、読者に提供する上での難しさなどを見て取ることが出来るだろう。

これらは、一冊一冊異なる方法で、日本の女性たちの声に耳を傾け、それを紹介している。ジュリア・ブロック、加野彩子、ジェームズ・ウェルカーによる『日本のフェミニズムを再考する』 は、15人の寄稿者による論文集であり、労働組合の結成や文学作品の執筆から、ジェンダー理論を扱う論文の日本語への翻訳活動まで、様々なフェミニズムのあり方を教えてくれるものである。また、加野の『日本のフェミニズム論争』 は、学術的・商業媒体的・政治的な立場の論客たちによる、フェミニズムをめぐる論争をとりあげたテクストを、さらに考察した研究書である。いうまでもなく、これらの声は、必ずしも女性が発したものとは限らない。著書『私たちの組合・私たちの自己』の中で、アン・ザカリアス=ウォルシュは、彼女のプロジェクトに参加した、男女の活動家たちの運動を解説した上で、活動家自身が、自分たちの体験について語った言葉を記録・紹介している。この三冊は、日本について英語で書かれた本であるため、おのずとトランスナショナル的な性質をもち、また、いずれも、トランスナショナルおよび越境的な事象を、積極的に扱っている。しかしながら、アプローチの仕方が非常に異なっているため、主題や、引用された学術文献は、意外にも重複が少なく、三冊全てに登場する、歴史上の人物や現今の活動家はいないようである。

共通して引用されている研究者も、少数であり、三冊全てに言及されているのは、メアリー・ブリントン、アンドリュー・ゴードン、サリー・ヘイスティングズ、金井淑子、ヴェラ・マッキー、バーバラ・モロニーだけである。そのように、文献・方法論・結論などの面では、それぞれ独自性を見せつつも、日本のフェミニズム運動が直面した困難な道のりに関しては、どの本も一致団結している。皮肉なことに、三冊に共通して現れる数少ない人物の一人は、石原慎太郎 (1932~) である。1999年から2012年まで、東京都知事を務めた石原氏は、制度化された女性差別のさらなる継続を目指す「保守派男性政治家たちの顔」としての立場を担った人物である。例えば、石原氏は2001年、ある女性誌のインタビュー中、「生殖能力を失った後でも生きているババア」は「無駄」で「罪」だと発言した。ザカリアス=ウォルシュは、この言葉を、著書の冒頭の題辞として使っており、バーバラ・ハートリーも同じ発言に言及している。加野によれば、フェミニズム運動への敵対心から、石原氏は、政治力と扇動的なレトリックで、ジェンダーフリー政策を推進していた公的女性機関を閉鎖した上、諮問委員会のメンバーであるフェミニストたちを総入れ替えしたという。また、キャサリン・ヘンマンは、森喜朗前首相が2003年に日本の低出産率について演説した際、「子供を産まなかった女性は公共福祉の恩恵を受けるに値しない」と発言したことを引用し、フェミニズムの敵は、保守的な男性政治家なのだという見解を、強固なものにしている。2012年以来、首相を務めている安倍晋三氏は (編集注: 2020年に病気を理由に辞任)、石原氏や森氏と同じ政党に属する政治家であるが、彼は女性が能力を発揮できる社会づくりを促進する政策を提案したものの、ここに取り上げた三冊の本では、非常に懐疑的にとらえられている。

『日本のフェミニズムを再考する』 は、様々な分野の研究者が集まって開催された、2013年のエモリ―大学での学会に端を発して作られた本である。所収された論文は、「政治運動と運動家たち」「教育と雇用」「文学と芸術」「境界線」という、それぞれフェミニストたちの関心事を反映した、四つのセクションに分類されている。近現代日本において、女性作家の存在は顕著であったにも関わらず、女性の文芸創作活動に関心を払っているのは、三冊のうち、本書だけである。

この本が題に「feminisms」という複数形を用いているのは、フェミニストを称する女性たちが一枚岩ではないという事実を認識してのことである。ヒラリー・マクソンは、母性主義と「平等の権利を求めるフェミニズム」(equal rights feminism) の間にある矛盾を指摘し、日本の女性たちが、1950年代に開催された「日本母親大会」において、どのように母性を政治力に変換したのかということを表現するために、「母性中心フェミニズム」(matricentric feminism) という用語に落ち着いた。ウェルカーは、1970年代のウーマンリブ運動が、レズビアンを除外していたことについて論じており、さらに、レズビアンのコミュニティ内において、同性に惹かれることを意識して育った者たちと、イデオロギー的な理由から、自分をレズビアンであると認識した女性との間に生じた緊張感についても解説している。また、「クリティカル・トランスナショナル・フェミニズム」(CTF) を提唱するセツ・シゲマツは、学術分野としてのフェミニズムや国家フェミニズムだけではなく、ジェンダー間の平等を優先するリベラル・フェミニズムからも距離を取っている。彼女は1970年代のウーマンリブ運動は、「急進的な日本のフェミニズム」(radical Japanese feminism) のモデルであり続けてきたと述べている。そして、「日本のフェミニズム」(Japanese feminism) という概念を受け入れる一方で、それが西洋の言語で研究されたり表象される際には、「人種化された認識論」(racialized epistemologies) の観点からも吟味されなければならないと論じる。さらに、CTFは、西洋の文化的帝国主義に対する異議申し立てとしての思想であり、有色人種女性の活動・第三世界のフェミニズム・ポストコロニアル・フェミニズムのもたらした成果の上にうち建てられた概念であると説明した上で、シゲマツは、CTFが、フェミニスト間の暴力・権力・攻撃や抑圧の可能性を認識し、また、非西洋に属する植民者としての日本の歴史が、どのように日本のフェミニズムを形成してきたのかを考察することの重要性を強調する。

『日本のフェミニズムを再考する』所収の論文には、クィア・スタディーズの文脈からフェミニズムの理想を考察し、「男性/女性」という単純な二項対立を乗り越えるものもある。サラ・フレデリックは、山川菊栄 (1890~1980) が、エドワード・カーペンター (1844~1929) の著作の翻訳を通して、ジェンダーというカテゴリーの複雑さを指摘していると述べる。ウェルカーの論考は、70~80年代のウーマンリブ運動を扱っている。活動家たちは、もともとレズビアン女性を運動に含めようとはしていなかったが、最終的には、リブが日本のレズビアン・フェミニズムの発展やレズビアン・コミュニティの形成に貢献したことを論じている。キース・ヴィンセントは、文学研究者の竹村和子 (1954~2011) が、フェミニズムやクィアの思想をアメリカから日本へ移入する際に果たした、重要な役割について詳細している。

また、我々読者は、本書の各章を通じて、特定の活動家たちに関する、豊富な知識を得ることもできる。例えば、ヒラリー・マクソンの第二章は、社会主義者の山川菊栄の思想や、「日本母親大会」を組織した人々の、フェミニスト運動家としての活動について考察している。ブロックの章は、戦前の日本における男女共学制度を扱っているが、同時に教育家の小泉郁子 (1892~1964) の思想や活動についての研究でもある。ソ・アキ (第十三章)は、在日韓国・朝鮮人女性による、女性解放運動の歴史を振り返り、近年注目を集めている従軍慰安婦問題が、在日女性の直面した抑圧、つまり性別・国籍という二重の差別構造に関する、新たな認識を生む契機となった点について論じている。

また、これまでフェミニスト・アートであると見なされて来なかった芸術作品を、フェミニスト的視座を用いて分析する研究もある。例えば、大正シック創出において重要な役割を果たした画家・イラストレーターの高畠華宵 (1888~1966) は、レスリー・ウィンストンによれば、伝統的なジェンダー規範に挑戦した人物であり、フェミニスト・アーティストとして認識されうるという。高畠は作品の中で、性別に基づく行動規範を否定し、「男性的」な特徴をもつ女性や、「女性的」な特徴を持つ男性を好んで描いた。このように、彼は、ジェンダーと身体の関係を、自然な因果の結果とするような考え方に抵抗した画家なのである。ヘンマンの章は、桐野夏生を扱っている。桐野は、フェミニスト作家として見なされることは少ないものの、筆者は、彼女が女性登場人物に自身の生き方を語らせることによって、フェミニズム活動に貢献していると論じている。ハートリーは、有吉佐和子 (1931~1984) と曽野綾子 (1931~) という、フェミニスト作家としてほぼ認識されない二人を分析し、家父長制の権威が女性を従属させてきた歴史の 、雄弁な目撃者として位置づけている。国家フェミニズムに対し、際立った抵抗を見せた曽野について、このような取り上げ方をした研究は珍しいと言える。

ナンシー・ストーカーとクリス・マクモランそれぞれによる章は、女性の仕事は家事・育児だとする世間一般の常識を退けるものである。ストーカーの論によれば、かつて花嫁修業の一環としてみなされていた華道は、戦後、女性が生計を立てるための技術を提供する伝統芸能になっただけでなく、師範となった女性たちは、華道界の家父長制文化を抑制することに貢献したという。一方、マクモランは、伝統的な宿泊施設である旅館を、女性解放の場の一つとして分析している。女性が、家族制度の束縛を受けることなく、(妻が無償で行うべきであるとされている) 家事労働を提供し、その対価として住居や食事を得られる場が旅館なのだ。華道の実践者や旅館の中居さんたちは、自らを「フェミニスト」であるとは意識していないかもしれないが、この二篇の論文は、日本のフェミニズムを再考するという作業が、日本の女性の生活を新しい視点から捉えなおすことから始まるという見解を示唆する好例である。

山口智美による第四章は、フェミニズム運動への「敵対者」についての調査であり、伝統的家族制度を揺るがす思想や、同性愛に反対する保守的宗教団体が、融資・組織・計画を行った政治運動について報告している。同時に、山口は、識者としてのフェミニストが、敵対者について無知であることを批判しており、男女共同参画社会基本法 (1999) の目的が不明瞭であるとする、反フェミニストの主張にも、共感を示している。地方の町村において、東京などの大都市を規範とする前提が、人々の反感を招いてきたように、フェミニスト研究者が地方の講演会に招かれるなど、エリートの女性ばかりが脚光を浴びてきたことも反感の原因であり、基本法不支持の大部分が、草の根的組織の成果であるという点も、山口によって指摘されている。

『日本のフェミニズムを再考する』の結論において、編者の一人である加野は、この研究書の柔軟性と限界について見解を述べている。それによれば、本書は、女性だけでなく男性の執筆者も寄稿している上、異性愛規範に基づく見解のみならず、クィア的見解も取り上げ、また、フェミニズムの支持者だけでなく、その反対者に関する考察も行っているいう点で包括的であるとする。また、本書の原点となった2013年の学会において、基調講演を行った一人である上野千鶴子は、講演中、日本のフェミニズム運動の出発点は1970年代であると述べたという。しかし、この本の執筆者たちの多くは、それより数十年前に活動していた、岸田俊子 (1861~1901)、福田英子 (1865~1929)、山川菊栄、平塚雷鳥 (1886~1971) などの運動家たちにも言及しているのだ。加野は、結論の中で、我々が日本のフェミニズムの未来に楽観的であるべきか悲観的であるべきか、という問いかけをした上で、基調講演者たちの中で、長期的な視野を持つ歴史学者の方が、現在を研究する社会学者よりも楽観的であったと指摘する。

次に加野の単著『日本のフェミニスト論争』 の書評に移る。本書では、19世紀から現在までの日本における性・ジェンダーをめぐる論争を通して、日本のフェミニズムを探求している。この本の副題が表すように、加野は「女性の幸せを問う」という観点から、性・愛・労働の分析を試みており、大多数の章は、性 (貞節・売春・ポルノグラフィ)、生殖 (中絶・避妊・優生学)、労働 (母性保護・主婦業、雇用) の三つの主題をもとに編成されている。結婚と母性を独立した章として持たないこの本の構成は、特別な効果をもたらす結果になったと加野は言う。彼女は、昨今の国家フェミニズムと、それに対する反発についての議論をもって、この本を結んでいる。

加野は、性を扱う章で、1910年代の貞節と売春に関する論争、1956年に撤廃された合法売春の是非をめぐる論争、1980年代の性の商品化についての論争を取り上げている。生殖についての章は、経済的困窮・優生学・自然・女性として生きることの複雑さ、という四つのテーマを通して、人工妊娠中絶に焦点を当てている。加野は、「言説上の」(discursive)、「商品化された」(commodified)、「制御された」(controlled)、「適合した」(congruent) など、日常ではあまり用いられない言葉で、性や生殖を分析している。「愛」は本書の副題に現れるが、この語は、性についての章で三回、そして上野千鶴子が「ロマンチックな愛は徹底的にイデオロギー的なものである」と批判したときに一回、現れるのみである。安田皐月 (1887~1933) と平塚雷鳥は、「性は愛と結びついていなくてはならない」と主張したフェミニストの声として、唯一の例である。

愛というテーマが、より大きく取り上げられているのは、労働に関する章である。雇用機会均等法 (1985) の文言をめぐる議論に焦点を置いたこの章は、日本において、長年、「全ての女性は潜在的な母親である」という前提に基づいて、政策立案が行われてきたことを指摘する。20世紀初頭の母性保護論争に始まり、1950年代の専業主婦の役割をめぐる論争を経て、昨今の雇用均等についての論争へと、加野はこのテーマの歴史的展開をたどっている。1947年に制定された新憲法は、両性の平等な権利を保障し、同年の労働基準法も、「同一労働・同一賃金」を規定した。にも関わらず、産業と福祉に関する戦後の政策は、「一家の稼ぎ手である男性」と「専業主婦」から成る家庭を支援するために設計されてきたのだ。1979年、日本は国連の「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」へ批准し、より多くの国民女性が、専門的職業に従事できるよう、法改正をしなければならなかった。その結果、1985年、国内外からの圧力に対処する形で制定されたのが、雇用機会均等法なのだ。その雇用機会均等法の文言をめぐる論争は、女性労働者の継続的な保護を支持する人々と、平等の実現のため、それらの保護を撤廃しようとする人々の間で起きた論争であった。

この法律は、女性の雇用を妨げる障害のいくつかを取り除いたものの、母親に対する社会的期待を変革するものではなかった。著者によれば、日本の母親が社会に期待されているのは、子供が学校で使う道具に名前を書いたり縫い付けたり、豪華な弁当を準備したり、保育所からの依頼で家庭での活動を記録したり、家族の世話という愛情表現をしたりすることなのだ。加野はさらに、日中に開かれる保護者会への出席など、母親への期待が、フルタイムの勤務形態とは全く相容れないという状況についても詳述している。この章は、国が、母親や主婦としての女性の役割を支援すべきか、そうであるならどのように支援すべきか、また生殖に関する労働はどのように補償されるべきかという、重要な問いを投げかけている。

本書の最終章は、1999年の男女共同参画社会基本法の文言とともに、この法が「弱い男よりも強い女を優先する」ものだとして巻き起こった反論を扱う。この法律とよく結び付けられる「ジェンダーフリー」という用語 は、フェミニストの教育家や運動家たちの間から、独自に生み出されてきた概念であるが、保守主義者たちは、特にこの用語に対する強い嫌悪感を表明したという。著者は「ジェンダフリー」という概念が、日本社会の厳格な性規範によって抑圧されている、様々な集団を団結させるキーワードになりうるとしており、同時に、この概念への反発を、異性愛者中心主義を再強化しようとする言説の高まりと関連付けている。

加野は、なんらかの概念を分析に用いる際、慎重にその定義を提示した上で、その通時的・国家的・国際的文脈を明らかにする。そして、英語と日本語の学術文献に通暁している著者は、他の研究者が提唱する議論の枠組みに自論を位置づけ、読者がフェミニズムを、グローバルな現象として理解するための手助けをしている。本書の参考文献リストは、(その言語を読めることが条件ではあるものの)、日本のフェミニズムについての文献を、更に読み進めるためのロードマップとなっている。本書の最大の貢献は、日本のフェミニズムを、西洋のそれの不完全版としてではなく、多種多様なフェミニズムの中の有効な一形態として扱っていることだ。著者は、社会の期待どおりに生きていられる限りは、日本の女性たちは概して幸せだとする一方、母親業と賃金労働を両立することの困難な状況についても指摘している。また、昨今、研究者の関心はジェンダーから社会的階級へと移って来ているが、加野は、この転換により、弱い立場にある男性の苦境が、貧困女性の存在を隠蔽する状況が生まれる可能性を危惧する。

最後の書評に移ろう。「フェミニスト労働組合」 は、ザカリアス=ウォルシュの『私たちの組合・私たちの自己』 の副題に現れる言葉であるが、これは少し誤解を招く言葉かもしれない。本書は、国際交流基金のCenter for Global Partnershipの助成金によって2004年から2006年までの期間に行われた 「国際草の根交流プロジェクト」(p. xiii) に関する、詳細かつ、称賛に値するほど自己批判的な報告である。このプロジェクトは、著者とその共同研究者たちが、女性のための労働組合である女性ユニオン東京と協働して実施したものだ。女性ユニオン東京は、1980年代以来、伝統的な企業組合の外で発展した、コミュニティ・ユニオンや個人会員で構成された組合の一例で、日本の他の女性組合と同様に、フェミニストの原理に基づく運営を目標としたフェミニストたちによって創設された。「フリーランス労働運動家」を自称する著者は、自分の興味の対象は「資本主義への抵抗」としての労働組合であり、組合員のフェミニズムではないとしている。そして、日本の女性たちが、社会の様々な場面で強いられている服従に対して立ち上がり、組合を組織したことを称賛する一方で、フェミニスト原理が著者の想定する「最も効果的な労働組織化」を妨げているとも述べている。

著者と共同研究者たちは、「来日した西洋人たちが、歩みの遅い日本人を教育する」という図式が長年に渡って存在しており、それが、植民主義的な主従関係を継続させている可能性についても認識している。このように、西洋が日本を見下ろすという図式の危うさを自認しているにも関わらず、ザカリアス=ウォルシュは、日本が「間違いなく、工業化した国の中で、最も頑強に男女平等に反抗する社会である」(p.163) と書き、日本を「進歩の遅い国」であると位置づけている。日本の「時代遅れのジェンダー関係」(p. 2) という書き方は、日本が従うべき足並みの速さというものが自明に存在すると著者が前提していることを示唆する。著者はさらに、日本の女性の労働状況が、彼女自身の母親や祖母の時代に似ていると述べ、日本はアメリカに比べ、二世代分遅れていると位置づけている。言うまでもなく、職場における男性の発言を、アニメ『原始家族フリントストーン』の主人公・フレッドのそれに喩えるのは、日本のジェンダー観は他国に何千年も立ち遅れていると拡大解釈するものだ。また、自分の知り合いである活動家たちを、「初代運動家」(p. 155) と呼んでいるが、これは、明治時代の女性労働者たちによる抵抗運動など、日本の労働運動家たちの歴史を否定する行為である。ザカリアス=ウォルシュは、日本について引用した学術文献については、しっかりとした理解を示しているが、彼女が、エリサ・フェイソン、グレンダ・ロバーツ、パトリシア・ツルミなどの研究成果を参照していないのは残念である。

しかしながら、ここに挙げた三冊のうちで、一般女性が直面する、職場での問題やフェミニスト活動家の日常生活についての知識を、最も詳しく我々に提供してくれるのも、本書なのである。この本には、フェミニスト活動家が電話応対したり、ホットラインを交代で受け持ったり、法的文書を取り寄せたり、ロビー活動をしたり、雇用主との交渉をしたり、法廷へと向かう組合員に付き添ったりする様子が、克明に記録されている。前述の『日本のフェミニズムを再考する』では、労働問題にあまり紙数が割かれていないことを考えると、そのような情報はいっそう重要になってくる。加野が『日本のフェミニスト論争』で言及しているように、1980年代以来、「パート労働」と「家事」という、二つの過小評価された仕事を担うことは、多くの日本の女性にとっての現実であり続けた。女性ユニオン東京が設立されたのは、まさに、働く女性たちが直面する、職場での問題に取り組むためであったのだ。

女性ユニオン東京で働く二人の運動家の伝記的な記録は、彼女たちの草の根的労働組織の努力が、かつてのウーマンリブ運動や、60~70年代の反政府・反戦運動のように、社会に根付いていることを明らかにしている。そのうちの一人は、学生時代、大学の卒業条件を満たすよりも、ストライキに参加することを選んだと言い、かつて工場労働者であった、もう一方の女性は、労働組合での活動を契機として、成田空港建設に反対する闘争に取り組むようになったそうだ。この二人の女性は、東京全国一般労働組合全国協議会を通じて知り合ったという。伝統的な組合が、女性の労働問題に無関心であることに耐えかね、また、左翼運動に参加する中で経験したセクハラに腹を据えかねて、二人は女性ユニオン東京の設立に参加したのである。

ここに挙げた三冊が、すべて大学出版局から出版されたという事実は、日本のフェミニズムが、学術的研究の対象となる、価値あるテーマとして、十分に確立されたことを示している。ヘンマンが指摘しているように、日本国内の商業ベースメディア (時にその一部が国外にも流出してしまうのだが) は、非常に野心のある女性を、それだけで極悪人であるかのように報じたり、「子どもを産まないという選択が、女性の身体に及ぼす悪影響」などといった、非科学的な説を報じたりしている。そのような状況を鑑みると、厳密なリサーチに基づいた研究書の出版は、とても重要だ。これらの論考は、日本の社会問題の原因を、何でもかんでも「悪質な母親」に帰する前時代の文献や、日本のキャリアウーマンを「孤独で可哀想な存在」と一方的に断定する、昨今の出版物などに対抗するものである。

そして、大学出版局から刊行されていることを考慮すると、三冊の内容が、フェミニストたちの活動以上に、理論や思想を重視しているという点も頷ける。加野自身も、演劇と文学の専門家だが、『日本のフェミニズムを再考する』 に寄稿した執筆者の過半数は、文学者か史学者である。もし、より多くの政治学者や社会学者が寄稿する本であったら、おそらくここまで概念には重点が置かれず、代わりに数字データが重視されていたであろう。しかし、日本のフェミニズムについて書かれた本は、常にその背後に、ある「数字」がひっそりと潜んでいる。それは、日本の女性を取り巻く環境を、相対的に数値化する国際的指標のことだ。加野とザカリアス=ウォルシュはどちらも、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指標を引用している。2014年の数字を見ると、日本は、女性の「経済活動」と「政治参画」両方の項目で順位が低かったことが分かる。加野は、これらの数字を考察する際には、日本が高順位を誇る、「長寿」「健康」「教育水準」「裕福さ」といった項目を含む、人間開発指数のような、他の指標と考えあわせる必要があると指摘する。そのような社会の特徴は、日本の育児環境や公共交通機関が優れている事と同様に、男性のみならず女性にとっても有益なのだ。

公選職の頂点が、石原氏や森氏のような保守派男性によって牛耳られている状況が、フェミニズムにとって有害であることは、これら三冊の研究書が合意する点だ。しかし、女性がより生きやすい社会を実現するために、女性議員の数を増やすことは重要であるが、いずれの著者もこの点を検討していないのは、驚きである。加野は、1975年の、国際婦人年連絡会設立における、市川房枝 (1893~1981) や他の国会議員の果たした重要性を認め、また1999年の基本法を草案した功績を、土井たか子 (1928~2014)・堂本暁子 (1932~)・猪口邦子 (1952~) など、女性政治家たちに帰している。しかし、国会議員を務めた、それ以外の多くの女性たち―神近市子 (1888~1981)・高良とみ (1896~1993)・奥むめを (1895~1997)・田中寿美子 (1909~1995) など―は、活動家や思想家や作家として、申し訳程度に触れられるのみで、彼女たちが官職に就いていた時のことは言及されていない。フェミニストの千葉県知事である堂本氏は、山口の論文で言及されるが、それは知事としての功績に関することではなく、県議会に提出した、ジェンダーフリー条例を可決できなかったことについてなのである。

これら三冊の研究書は、フェミニストたちが何十年にもわたって繰り返してきた論争、つまり、日本やそれ以外の国々で、女性たちが日々直面している困難を、どのように改善して行くべきなのか、という議論を描き出している。日本の多くの議員たちにとって、両性の平等を保障した1947年の新憲法、1985年の男女雇用機会均等法、1999年の男女共同参画社会基本法など、一連の法整備を進めるためには、公然と女性蔑視発言をする政治家の所属政党の協力や、時には蔑視発言者のリーダーシップを求めたりすることも、必要であったのだ。よりよい未来を実現していく上で、加野は、労働時間の短縮、雇用形態の柔軟化、保育施設の充実、そして、母親への期待度をもっと現実的なものにすることの必要性を挙げている。このような実践的な目標や、平等・包摂・帝国主義への反省といった理想を実現するには、社会の変化だけでなく、依然として男性が独占している政治制度内での妥協が必要とされるだろう。いうまでもなく、より多くのフェミニスト女性を、権威ある官職に選出できるのであれば、それに越したことはない。

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堀川暢子
ワシントン大学シアトル校アジア言語文学学科日本文学博士課程に在籍中。専攻は日本古典文学。現在、江戸時代の比丘尼御所で皇族出身の尼によって創作された漢詩の研究をしている。

Nobuko Horikawa
Doctoral student (Japanese Literature) at the Department of Asian Languages and Literature, the University of Washington, Seattle. Ms. Horikawa’s research centers on the Chinese poetry composed by princess-nuns who resided in imperial convents (bikuni gosho) during the Tokugawa period.