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書評 ジェラルド・グローマー著『瞽女: 伝統的日本における女性、音楽演奏、視覚障害 (Book Review: Goze: Women, Musical Performance, and Visual Disability in Traditional Japan by Gerald Groemer)

本文は以下の書評の日本語訳である: Tokita, Alison. “Goze: Women, Musical Performance, and Visual Disability in Traditional Japan by Gerald Groemer.” Harvard Journal of Asiatic Studies 78.2 (2018): 592–597.

*引用の際は、原文のページ番号を参照のこと

アリソン・トキタ「書評 ジェラルド・グローマー著『瞽女: 伝統的日本における女性、音楽演奏、視覚障害』」

翻訳者:菅原徹子

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この好著は、綿密・包括的に調査された「瞽女 (ごぜ)」の研究書である。瞽女というのは、17世紀から日本に存在した盲目の女性旅芸人で、この職能を共有する女性たちの自治集団を自ら組織した人々でもある。瞽女は20世紀に入っても少数ながら存在し、三味線を持って巡業を行い、様々な唄を披露したのだ。

彼女たちの十八番は、「山椒大夫」や「葛の葉」など、苦難や救済の伝説や奇跡を唄った語り物である。近代日本において、旅芸人という生業が時代に合わなくなるにつれ、その唄声は希少になった。しかしながら、近年、メディアの報道などにより、瞽女の伝統芸能は再度脚光を浴びることとなったのだ。

著者のグローマーは、彼女たちの人生と音楽、そして、その音楽が消えかけてしまったことの意味を思慮深く考察している。本書全体に響く重要なテーマとして、苦しみ・障害者の主体性・社会的不平等、そして「解放への関心」(p. xvi) があげられる。

30年以上にわたり、瞽女と瞽女唄の研究に携わってきた著者は、瞽女を単に記録・分析するのではなく、彼女たちの世界を本書の中に再現することに成功した。視覚障害の性質に関するグローマーの理論的枠組みは複合的であるものの、理論によってこの本の主題である「瞽女の言葉、唄、活動」(p. xviii) を曖昧にすることはない。彼は、「視覚障害のある女性に対する差別」というレンズを通して、この本の主題である瞽女を考察している。そして、彼は、瞽女たちが、固有の職業文化と音楽演奏の伝統を生み出したことで芸能者としての社会的地位を得たが、やがて、その生計と芸能を支えていた社会が近代化によって変貌したことにより、その地位を失ってしまったのだと述べている。

本書では、20世紀後半に研究者が収集した膨大な数の瞽女の証言が史料や民族誌的データとして多用されている。これらの証言は、グローマーの記述を具体的かつ生き生きとしたものにしており、読者は本書に登場する瞽女たちを、生身の人間として知ることができる。また、その内容は、1930~1970年代の間に撮影された写真資料によっても補完されている。そして、本書の見どころは、何といっても、唄とともに生きる瞽女の生活と、著者が書き起こした瞽女唄を扱う章である。

序章では、17世紀以来、瞽女が日本の各地で強力な職業団体を結成したことが紹介されている。中でも、1970年代まで存続していた越後 (現在の新潟県) の団体が最も成功した例であった。瞽女は、師弟関係に基づく「組」と、組が寄り集まった「座」を形成し、「瞽女屋敷」を構えて、家族のように共同生活を送っていたという。そして、村から村へと渡り歩き、祭りや民家の戸口、宴会など、屋内外を問わず唄った。彼女たちは歓迎され、尊敬される一方で、社会的に排除され、差別される存在でもあった。

戦後になると、瞽女及び瞽女の生業に関する資料が激増した。瞽女の唄が最初に録音されたのは、瞽女の長時間インタビュー記事が出版された1950年代初頭にさかのぼる。グローマーは、これらのインタビュー記事を解釈する上で「なぜ瞽女たちの主張は互いに似かよっていることが多いのか」と問いかけている。彼はこの質問に対して、直接的な回答はしていないものの、本書は、前近代から現代に至るまでの口述証言や、その他の入手可能な資料の緻密な考察・分析を提供してくれている。グローマーは、「沈黙の中でこそ、苦しみが最も痛切に明らかになる」(p. 13) と述べつつ、これらの沈黙や空白を探ることにより、瞽女の心に潜む不平等や苦しみを明らかにしようと試みているのだ。

第一章では、障害や健常性が、いかに力関係を伴う価値判断であるかについて書かれている。盲目であることを、前世からの宿業に起因するとする仏教的な言説や、その他の偏見により、「障害者としての主体」(p. 34) がまず生み出された。そして、17世紀初頭、瞽女たちは、盲人に対する世間一般の定義や評価に対抗する手段として、職能者としての地位を高め、経済的自立を実現するための組織を形成し始めたという。

第二章では、越後瞽女組織の形成についての概説が提供される。慈善の精神を持ちあわせた上流階級の人々との関係を築く一方で、瞽女たちは、農民と団結することが最良の戦略であると考えていた。そして、室町時代に琉球から伝来した三味線を活用し、農村の人々にとって魅力的なレパートリーを生み出した。三味線は、巡業の旅に適した楽器であり、唄の伴奏にも適していた。また、彼女たちは、巡業生活に合う稽古方法や、その生業を維持するための制度を作り上げていった。瞽女の生き方、その営みに付きまとう制約と職人気質は、職能民としての彼女たちのアイデンティティを創り出した。また、彼女たちは、抑圧からの解放に対する欲求を共有する農民たちから称賛される存在でもあった。

「瞽女縁起」(p. 34) や嵯峨天皇 (在位809~823年) の「院宣之事」(p. 49) など、瞽女たちが、自らの歴史的起源に関する伝説を作りあげたという点も、社会的な差別を受けた他の多くの集団と共通する。グローマーは、瞽女の伊平タケが、生き生きとした詳細とともに語った、嵯峨天皇の盲目の娘の話を引用している (pp. 51-52)。また、彼によれば、瞽女の生活を律する行動の掟を記した「瞽女式目」(p. 35) が「倫理的主体性」(p. 51) を生み出し、瞽女たち自身の生き方に倫理的な基盤を与え、それが彼女たちの正統性や道徳的権威につながっていたのだという。

第三章は、瞽女たちが、宗教的な鍛錬にも似た「修行」の過程で、どのように芸や作法を身につけていったのかを詳らかにしている。ここでグローマーは、瞽女の主体性に踏み込み、「修行」によって内省の能力を身につけ、成熟した瞽女は「物事を正しく見る目を得た」と論じる (p. 84)。また、「修行」は、盲目の女性たちが、瞽女という「商売」に従事し、真摯に提供した芸に見合う報酬を正当に得るための訓練でもあったという。グローマーは「瞽女芸教授法」という節 (pp. 100-109) の中で、若い瞽女の心情を想像力豊かにとらえ、稽古の様子を見事な構成で描いている。若い瞽女は、まず三味線で短い唄を演奏することを学び、次に「越後瞽女の得意芸」(p. 97) とされる「段物」や「祭文松坂」と呼ばれる長い語り物を学ぶのである。

また、グローマーは、録音された瞽女の証言をもとに、稽古が、いかに師匠の権威と切り離せないものであったかついても述べている。例えば、小林ハルは、11歳の時、知らずに犯した「罪」の罰として、山に一晩置き去りにされた恐ろしい体験について語っている。その「罪」は、「許可を乞わずに、まだ教わっていない唄を勝手に唄った」(p. 108) ことであった。師匠はハルに、彼女が犯した罪が何だったかを告げずに、厳しい罰を与えたのだという。このような経験から、若いハルは、自分が、歌詞・旋律・生活必需品など、瞽女の生業に必要なすべてのものを管理している師匠に、完全に依存しなければならないということを学んだ、とグローマーは解釈している。師匠の社会的権威は、その管理下にある、弟子芸人の成功や自立によって得られるべきものだ。しかしながら、自身も生活的に余裕のない師匠たちは、弟子と共有する抑圧からの解放への道を進むのではなく、厳しい体罰によって弟子を従属させるという道を選択したのである。グローマーは、師匠が、指導の対象である若い女性の立場を、過去の自分に重ね合わせる機会があったにも関わらず、「厳しい稽古を通して形成した、師匠としての自己意識や自己概念を一部にもつ、弟子のそれとは違う新たなアイデンティティをつくりあげた」(p. 109) と述べつつ、師匠の主体性を分析している。

第四章では、瞽女の活動の年間サイクルに沿って、代表的な唄が紹介されている。その中で、唄の歌詞とその分析が融合され、瞽女唄の芸術性が見事に可視化されている。 また、この章によれば、農村地域における音楽などの芸能が、緊縮財政政策のために停滞した際、瞽女たちは農村の観客に、自分たちの芸が文化の喪失を食い止めるのに貢献しているということや、瞽女と農民は社会的抑圧からの解放という共通した希望を持っていることを説き、その経済危機を乗り越えようとしたという (p. 121)。 こうして、18世紀までには、瞽女と農村地域の観客との間には、共生関係が築かれた。瞽女は豊富なレパートリーを華麗に演奏する一方で、農民たちは耳の肥えた聴き手となっていた。

巡業中の瞽女は、新しい村に到着すると、挨拶代わりに「門付け」と呼ばれる短い唄を家々の前で披露し、わずかな米を恵んでもらうというしきたりがあった (pp. 134-44)。門付けをしながら渡り歩く瞽女たちは、ある種の「物乞い」として見られていたものの、夜になると「瞽女宿」で芸を披露した。瞽女宿での興行では、宿賃代わりとされる特定の演目で始まる。その後、瞽女の中心的なレパートリーである段物が披露され、最後に、観客たちの要望に応え、様々な唄が演奏された。

グローマーによる祭文松坂の詳細な解説は、次の主張から始まる:「『平家物語』が琵琶法師たちの労働組合ともいうべき『当道 (とうどう)』の伝統を支えていたように、これらの唄物語も、越後瞽女の職業を支えていたのである」(p. 149)。グローマーは、瞽女の唄に「口承芸能」(p. 151) というレッテルを貼ることには慎重だが、彼によれば、瞽女芸の創造と継承に文字が関与していないのは事実であり、また、語りは演奏の背景や演者によって変化し、継承の過程で少しずつ変化し続けていたという。瞽女唄を支える簡素な演奏形態は、段物という、説経・浄瑠璃・講談などから派生した語り物の柔軟性を高めることにも役立ったのだ。そして、グローマーは、「祭文」として知られる一連の語り物の前身についても簡潔に説明しており、何世紀にも渡って使われてきた、この曖昧で不統一な用語について、明快に説明してくれている。

瞽女は、民謡や歌謡曲の旋律にも三味線の伴奏をつけて、それをプロの音楽演奏のレベルにまで高めていった。その一例として、グローマーは段物『葛の葉子別れ』の中から、悲哀に満ちた三つの場面の全文とその英訳を所収し、その上、1975年に行われた演奏の音源の書き起こしと分析を行っている (pp. 155-73)。この章を読むと、読者はグローマーのように、じっくりと瞽女唄を聴きたくなるに違いない。本書にコンパクトディスクが付録されていないことが残念である。厳選された唄の歌詞や、それらに関する明快な考察は、本書の主旨に沿い、瞽女及び瞽女唄の全体像を効果的に描いている。

続いて、「祭文松坂の演奏と鑑賞」(p. 173) と題された節において、著者は、物語の世界に入り込むためには、演奏者と観客両方の努力が必要であると述べている。彼は、瞽女や瞽女唄の解説にありがちな、時代を超越した日本的感覚にロマンを見出す「社会的同質性という悪しきイデオロギー」(p. 174) に猛烈に反論した上で、物語の世界に入り込むために必要な条件として「演奏者と聴き手の間の特異な関係・・・その時々の演奏時に発生する関係を超越するもの」(p. 174) を想定している。グローマーは、瞽女にとって、演奏の目的は「自己表現」ではないということを強調している。厳しい修行によって芸を身につけた瞽女は、「画一的で控えめな原点に戻ることなく、自己の消滅を演出することを徐々に学んでいった」(p. 176) のだ。これをグローマーは「職人的な主体性」(p. 176) と呼んでいる。束縛と苦難に満ちた、単調な生活を送っていた農村の住民たちは、瞽女の演奏を聴き、物語の登場人物に共感することで、感情的なカタルシスを得ることができたという。瞽女の音楽の特徴である「同じ旋律の繰り返し」によって、音楽演奏が背景となるとともに物語が前景化し、そのようなカタルシスをもたらしたのだ (p. 178)。

段物『佐倉惣五郎』についても詳細な記載があるが、これは、農民たちに過酷な生活を強いた徳川幕府を批判したために、反逆罪で磔にされた佐倉惣五郎をめぐる、江戸時代前期の義民革命の物語である (pp. 179-83)。長年に渡り、瞽女の語りと音楽に触れてきた農村の観客たちは、集中して聴く習慣が身につき、演奏の複雑さを理解するとともに、物語の筋を把握することができるようになる。そして、グローマーは「能動的共同認識」という概念を提示し (pp. 183-85)、自らも貧しい暮らしを強いられている農民たちが、このような物語をどう受け止めたかについて述べている。彼はここで、観客に投影された瞽女芸鑑賞の哲学を概説しているが、これがおそらく本研究の醍醐味である。

第五章では、瞽女が生業を営むことが厳しくなった時代、つまり近代に起こった様々な変化について考察し、彼女たちの物語を締めくくる。高田瞽女の巡業は1964年で終わったものの、長岡瞽女の活動は1970年代まで続いた。そして、そのころ、ようやく瞽女の唄や生き方が、日本中に知られるようになったという。最終章では、テレビなどで、この伝統芸能のことを初めて知った人々が、「胎内やすらぎの家」という老人ホームで隠居生活をしていた「最後の瞽女」小林ハルに芸を習い、「目が見える瞽女唄の歌い手」としての活動を通じて、女性たちが瞽女の音楽と伝統への理解を広めていく様子が温かく語られている。竹下玲子という女性は、月に一度の対面指導を10年間続けた後、新潟県内で演奏会を開くまでに成長した (昔ながらの「旅芸人」にはならなかったが)。

瞽女芸が滅びた背景に関するグローマーの考察は、同時に近代日本の資本主義と、それがもたらした、商業的音楽嗜好に対する痛烈な批判でもある。瞽女唄は、今もなお聴く者に良心の呵責を覚えさせ、人々に現状を変えるべき時が来ていることを示唆していると、グローマーは主張する。彼は、「沈黙させられたもののこだまを聞き取ろうと努力しながら、進むべき道を模索するとき、私たちは罪の限界を認め、それを美徳に変えることを拒否しなければならない」(p. 218) とも述べている。学術的でありながら、読者を引き込む魅力に溢れた本書は、日本における視覚障害を持つ音楽家に関する今後の研究や、視覚障害の文化的研究の試金石となるであろう。

 

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菅原徹子
北海道生まれ、米国育ち。東京でIT関係の仕事に従事した後、日本語教師に転身。2021年、ポートランド州立大学にて修士号 (日本語) 取得。専門は日本語教育。

Tetsuko Sugawara
Born in Hokkaido, Japan, grew up in the U.S.. Worked for an IT company in Tokyo before changing careers to become a Japanese language teacher. In 2021, graduated from Portland State University with a MA in Japanese. Main area of interest is Japanese pedagogy.