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書評 ナヨン・エイミー・クォン著『親密な帝国: 朝鮮と日本における協働と植民地近代 (Book Review: Intimate Empire: Collaboration and Colonial Modernity in Korea and Japan by Nayoung Aimee Kwon)

本文は以下の書評の日本語訳である: Perry, Samuel. Intimate Empire: Collaboration and Colonial Modernity in Korea and Japan by Nayoung Aimee Kwon.” Harvard Journal of Asiatic Studies. 78.1 (2018): 255–263.

*引用の際は、原文のページ番号を参照のこと

サミュエル・ペリー「書評 ナヨン・エイミー・クォン著『親密な帝国: 朝鮮と日本における協働と植民地近代』」

翻訳者:福田哲平

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ナヨン・エイミー・クォン著、『親密な帝国: 朝鮮と日本における協働と植民地近代』の表紙を華々しく飾るのは、芥川賞受賞者であるキム・サリャン (金史良; 1914〜1950) によって、漢字交じりのハングルで書かれた一枚の葉書である。キムは、植民地朝鮮の著名な女性作家であるチェ・ジョンヒ (崔貞煕; 1912〜1990) に宛てられたその葉書の中で、自分の完璧ではない朝鮮語の間違いを直してほしいと頼んでいる。この研究書の核となるのは、以下の三点である。第一に、キムやその他の植民地時代に活躍した作家たちに見られる、日本語・朝鮮語どちらの言語能力にも自信が持てないという不安感。第二に、大日本帝国の抑圧下で書かれた、彼らの植民地文学作品に現れる、ばらばらの主体性。そして、第三に、宗主国日本の都市と植民地朝鮮という二つの土地に引き裂かれ、その分裂を自身の内面に有していた作家たちが対峙した「表象という難題 (conundrum of representation)」(p. 10) があげられる。植民地時代と、それ以降の朝鮮半島を結びつけようという、大きな目標において、クォンの著書は、西洋ばかりに目を向けがちな読者に対して、東アジア内のトランスナショナル文学研究への門を開く、先駆的な貢献だと言えるだろう。本書は、日本・朝鮮、またその両方において一世紀以上に渡り考察されてきた、ポストコロニアル研究の諸概念と、豊かな文学作品・文学批評の功績との間に横たわる、知の分断を食い止め、その架け橋となる研究がもたらす報酬 (そして欠陥) を読者に提供するものである。

植民地時代の日朝関係に明るくない人々にとって、この『親密な帝国』は日本語、朝鮮 (韓国) 語で書かれた文学や、文芸批評の解釈・事例研究への良い入り口となるであろう。これほどの規模の研究書 (特に、クォンの着目したトランスナショナルな観点や、大胆な批評性という点で) は、本書と好対照をなす、カレン・ソーンバーの『Empire of Texts in Motion』を除いて、ほとんど出版されてこなかった。本書では、紹介される文献に、より明確な歴史的意味を持たせるため、文芸批評の概念が入念に解説され、議論に取り入れられている。そして、日本帝国主義という、特定の歴史的文脈の中でテクストが解釈されており、植民地朝鮮と植民地以降の朝鮮の分断に関わる、数々の議論を折衷する役割も果たしている。東アジアや英語圏の学術界で、長く議論され続けてきた三人の作家、キム・サリャン、チャン・ヒョクチュ (張赫宙; 1905〜1998)、カン・ギョンエ (姜敬愛; 1906〜1944; 他の二名に比べ、登場回数は多くないが) の経験が大きく取り上げられているこの研究書には、実証的な観点から見ると、驚きはほとんどない。

先行研究の功績と積極的に対話しようと努めるクォンにとって、既存の日朝の植民地研究には、先進国 ("metropolitan") の批評家としての責任を放棄したかのような手法でなされてきたものが多いのだろう。実際、本書中のいくつかの箇所では、 やや尊大とも受け取られかねない態度での発言が認められる。そこでは、著者が言うところのうわべだけの (主に韓国人の) ポストコロニアル研究者への批判がなされている。このような、植民地時代の文献にあたる際に、「協力/反抗」という二項対立的な読み方しかできない (とクォンが主張する) 研究者達は、国家的もしくは思想的な忠誠心を、作家に重ね合わせて読むことでしか文献を分析できない、視野の狭い政治的な読み方に陥っているのだという。クォンによれば、そのような狭い視野からは、当時の作家たちが直面していた、より複雑な「表象という難題」―通常、政治思想上、両極に位置するような作家の間でさえも共有された問題―について議論することは不可能だという。また、著者は、「我々のような、先進国の研究者は、マイナー文学に対し、抑圧的・特権的な立場に無意識に陥ってしまうだけでなく、その立場を変えたり手放したりするすことにも、まるで関心を寄せず、結果的に特権的な立場にしがみつくという、植民地時代と同じような力関係を再生産している」(p. 58) とも述べている。本書中一貫して、著者は、現存する植民地文学のテクスト解釈を、歴史的文脈に重きを置きながら再考証している。最終章では、韓国への「全うなポストコロニアル理論」の「遅れた到着」について述べつつ、その理論の権威とされる、主に西洋出身の著名な学者たちの立場をなぞっている。そして、文芸批評界において、批評家たちは、植民地時代の遺産である帝国主義への関与を否定しながらも、一貫してその恩恵を受け続けているという「ポストコロニアリティのパラドックス」(p. 195) まで話を広げている。

このように、植民地文学と植民地文学作品の享受について分析するにあたり、著者自身の、先進国の研究者としての自意識と譴責が見受けられる。本書の中心は、植民地の知識人たちが、日本語・朝鮮語の二か国語を (均等にではないものの) 使用していた時代、つまり同化政策の影響が顕著になってきた時代の中の五年間である。それは、クォン自身が言うように、キム・トンギン (金東仁; 1900〜1951) のような作家が「日本語で練り上げたアイデアを朝鮮語に翻訳するという、苦痛に満ちた作業を行わねばならなかった」(p.  27) 時期であった。著者は、ほとんどすべての章で、物質的・言説的背景の両面からテクストを批評しているが、その際、作家たちが感じていたであろう歴史的圧力と、植民地文学作品というジャンルの限界をはっきりと区別している。帝国時代に、日本人によって発表された朝鮮文学研究への批判において、クォンは本領を発揮する。その過程で、著者は、朝鮮人作家による日本語または朝鮮語のテクストの重層性を明らかにし、また、植民地という文脈において現れる、多くの不平等な状況についても分析している。例えば、日本帝国主義が、いかに朝鮮人の文芸批評家に、朝鮮文学への劣等感を抱かせ、朝鮮人作家が抱いていた、帝国に統合されていく不安を植え付けたのかが、明確に提示されている。そして、クォンによる、キム・サリャンやチャン・ヒョクチュなどの、後期帝国時代の文学作品の解釈は新鮮であり、賞賛に値するものである。

特に、東アジアのトランスナショナリズムを研究する人々にとって、クォンが活用している批評概念は、興味深いものになるであろう。本書の表題と副題からいくつものキーワードを連想することができるが、その中の一つ、「植民地近代」は、序章の中で、多くのスペースを割き、明確に説明されている。クォンは、多くの学者が、自明の概念であるかのように、無自覚に使っているこの用語の意味を再検討する中で、異なる領域での分析にも適用できるよう、語に内在する矛盾を明らかにしている。このアプローチは、本書で扱われる、植民地文学テクストに歴史的・理論的な文脈の多様性を与えてくれている。クォンは、この問題をまとめる形でこう書いている:「実際には同属的であり同時代的な『植民地 (性)』と『近代 (性)』は、論証的かつ支配的な方法によって、あたかも、それらが同時代的には存在できず、心理的・政治的に矛盾した関係であるかのように切り離して扱われ、断絶が強要され続けてきた」(p. 9)。著者によると、このような「植民地」が「近代」に近づくことを阻ませる矛盾構造は、朝鮮人作家の心理的なトラウマ体験を招くのみならず、帝国統治下において、日本人だけでなくエリート朝鮮人もが支配者となった事実を否認してしまうものなのだ。これは植民地時代以降にも継続して行われてきた否認であり、我々が、本書を通して、韓国における「リアリズムというポストコロニアル体制 (postcolonial regime of realism)」(p. 175) として学ぶものである。もちろん、韓国のポストコロニアル批評家たちが、かつて植民地文学における主体性が近代へと至ることを阻止した、帝国時代の知の構造を恒久化しているというクォンの主張は、有意義な議論に発展する可能性も否めないものの、根本的には、異化の行為であると言える (この点に関しては、のちに再度触れる)。

クォンは、「植民地近代」という用語の代わりに、「表象という難題」という、より包括的な概念を示す言葉を多用しているが、この言葉は本書中一貫して語られる、矛盾の感覚を呼び起こすために使われており、その矛盾は、植民地での経験に特有であるだけでなく、ポストコロニアル時代における植民地への理解を左右するものである。この新たな用語は、クォンにとって「植民地近代という主体性が身体的・心理的・言語学的・政治的などのレベルにおいて、譲歩することを余儀なくされたという、根本的な矛盾や行き詰まり」(p. 10) を意味するものである。本書は、この矛盾が、主体性・言語・歴史・内容と形式という美学上の表現や認識など、様々な地平において影響を及ぼしているを論じるが、この「表象という難題」における多様性こそが、ポストコロニアル批評において、植民地体験を振り返る際、見落とされがちなものなのである。

おそらくすでに明らかであるように、『親密な帝国』は、作家が抱く精神的不安から、文学形式、植民地支配の歴史、植民地文学の享受まで、極めて多様な問題を取り上げている点で、これまでの表象研究が提供してきた内容の域を、はるかに超えた研究書である。それは実に、クォンが後期植民地時代に書かれた、マイナー文学のテクストに改めて見出している、豊かな複雑さの感覚なのである。そして、ここで使用される「マイナー文学」も、クォンがその意味を拡張する、他所から引用された言葉である。クォンは「マイナー文学」を、特に、朝鮮人によって日本語で書かれた作品を指すものとして使うと同時に、「言語を問わず、不平等な力関係という文脈の中で、主流から追いやられた作家によって書かれた文学作品」(p. 44) という意味でも使用している。この広範な解釈が、植民地時代の朝鮮人によって書かれ、朝鮮語および日本語で出版された作品の分析を可能にしている。マイナー文学に象徴される「排除される立場」は、これらの文献に「革命的な潜在能力」(p. 44) を与えている。それはクォンにとって、植民地支配の仕組みと、日本人だけでなく朝鮮人も支配者の立場にいたという史実が、否認されがちである現状に対する洞察を意味する。その限りにおいて、著者は、コロニアル批評・ポストコロニアル批評の専門家たちが見出すことのできなかった、キム・サリャンやチャン・ヒョクチュなどの作家間の繋がりを、マイナー文学という視点から明らかにすることに成功している。

「植民地近代」「表象という難題」「マイナー文学」という用語は、クォンが、自身の研究のために、その意味を再編した包括的な概念であるが、本書の中で、その役割を確実に果たしている。また、用法の巧みさという意味では、その程度は上記の用語と異なるものの、「アブジェクト/アブジェクション」「キッチュ」といった言葉も取り入れられている。しかし、著者の「アブジェクト/アブジェクション」という言葉への執着は、この本の提供する史学的価値を高めるという言うより、曖昧にしてしまっている。また、本書は、植民地時代の文化交流に潜在していた、不平等感や危機感、そして矛盾の感覚を描き出す新たな解釈 (しばしば、既存の研究に相対する読み方) を提示することに終始している感がある。

例えば、筆者自身が「日本の私小説の手法に沿うことに失敗した」と評価している、キムの短編「光の中に」(1940) の分析では、この作品は実は「価値ある実験的作品」であり、「被植民者としての分裂した立場だけでなく、相互行為遂行と相互依存という関係性の中にありながらも、複数のアイデンティティが存在上の統合性を凌駕する」 実に革新的な創作であったのだ、と評価している (p. 61-65)。また、「コロニアル・アブジェクト」と題された章は、キムの短編「天馬」をセルフパロディだとし、「バイリンガルであった被植民者作家や、その作品が直面した苦難に関わる、重層的なメタ言説の役割を果たす」(p.98) と主張しつつ、緻密で説得力のある読み方を提示している。

最も説得力がある章の一つである「パフォーミング・コロニアルキッチュ」では、村山知義 (1901~1977) とチャン・ヒョクチュの共作である戯曲『春香伝』の分析が行われている。ここでは「[この戯曲に] 与えられた目的にあえて反するような読み」(p. 103) という新たな試みが、日本帝国による内鮮融和政策、アジアの伝統への回帰、そして「トランスコロニアル・ノスタルジア」と筆者が呼ぶ、複数の競合する形式―日本人消費者の抱くコロニアル・キッチュへの欲望と韓国人の国家的伝統への欲望―といった文脈に応じて、注意深く展開される。クォンはまた、中傷の標的となったチャン・ヒョクチュが、近年脚光を浴びている同胞キム・サリャンと同様、いかに「国粋主義者たちの真正性への要求と帝国主義者たちの異国情緒への要求の間で板挟みになっていた」(p.139) かという点を強調する。クォンが頻繁に言及するこの矛盾は、ジャネット・プールの著書である『Eastern Sentiments』や『When the Future Disappears』をはじめとして、英語圏の研究者たちの手でまとめられた、植民地近代への洞察を想起させる。

しかしながら、「満洲の記憶の忘却」と題された章でのカン・ギョンエ作品の分析を読み、クォンのキム・サリャンやチャン・ヒョクチュ作品の解釈に対する、評者自身の興味は、少なからず冷めてしまった。ここでは、「貧困層の女性を中心に描き続けてきた、女性知識人」というカンの立場が、十分に説明されているとは言い難い。著者が、韓国における文芸批評を「リアリズムというポストコロニアル体制」と呼び、極端に平板化しているのもこの章である。クォンによると、韓国の文学研究者は「植民地を現実的に描くことへの政治的な要求に固執しすぎており」(p.175)、カンの作品を正確に読みえていないという。ここで我々は、植民地時代の最も著名な女性作家の一人であり、朝鮮人女性として最初の植民地研究者の一人であるカンが、著者によって、いとも簡単に切り捨てられる様を目の当たりにするのだ。また、クォンはこの章で、彼女自身によるカン作品の批評と、少しばかりの「後発的ポストコロニアル批評」を用いた、別の研究者によるカン作品批評を取り上げている。しかし、その実情は、イ・サンギョン (1980年代後半から90年代にかけて、当時あまり知られていなかったカン作品に光を当てるきっかけを作った研究者) など、クォンの同業者の「お粗末な読み」を露呈することに終始しており、本書の前半でキムやチャンに対して行われたような、歴史的な位置付けは、カンやイの作品にはされていない。

これまでの解釈の方法に挑戦すべく、多くの手法を用いて、カンの作品から意味を抽出していくクォンの試みは、称賛に値するものではある。例えば、帝国時代の日本人が朝鮮文化に対し抱いていた憧れから、カンの1938年の短編「長山串 (ちょうざんかん)」は当時、異国情緒あふれる作品して扱われていたが、何十年も後の韓国人ポストコロニアル研究者からも、「労働者層における異人種間の団結の主張を試み、失敗に終わった作品」として、同様に浅い読み方をされていることを、著者は指摘している。また、クォンは、1980年代後半にはすでに明らかであったはずの事実、つまり、プロレタリア革命の可能性を秘めていた、後期植民地の労働者たちの団結が、あっけなく日本の同化主義的な「内鮮一体」というレトリックに援用・吸収されてしまったことを指摘しつつ、このポストコロニアル的な読み方を複雑化している。

さらに、クォンは、カンの他の作品に関する議論の中で、今日のポストコロニアル批評家たちが抱いているイメージとは対照的な「中国人男性への人種差別的なまなざし」の存在を指摘している。それはカンに与えられた、「サバルタンの擁護者」という勲章に矛盾するものである。これら非親和化行為の結果として、クォンは、カンやカンの主張を、歴史的文脈を通して理解することよりも、カン作品に「朝鮮らしさ」を求める、1930年代後半に見られた帝国主義的な読みと、カン作品を革命的可能性に欠けているとした、「後期リアリスト」的な読みに隠されていた共通点を暴露することに、強い関心を示す。クォンは、カン作品の初期ポストコロニアル的な解釈に異議申し立てをするような形で、日本のアヘン製造の歴史や、日本が植民地で展開していた塩市場の詳細に目を向ける。それと同時に、著者は、女性文学・プロレタリア文化・転向などの、1930年代を専門とする者であれば、決してカン作品への影響を否定しないであろう重要な歴史的言説や実践を無視している。

しかしながら、「同情」(1934)、「200ウォンの原稿料」(1934) など、満州を舞台としたカンの他の短編は、女性知識人たちの傷ついた内面を伺い知ることのできる作品となっており、キム・サリャンの描く男性主人公と、好対照をなすものと言える。これらは、前述の「表象における難題」や、日本帝国内の「文化の認識論的暴力」にもつながる問題である。カンの自伝的な短編の中で描かれる、ばらばらな主体性に関して言えば、植民地支配は、日本語と朝鮮語の二か国語で意思の疎通を図らなくてはいけないという「もどかしさ」ではなく、文盲の大衆から受けた「疎外感」や、共産主義思想と家父長制社会に挟まれた女性が抱える数え切れないほどの「矛盾」の方が、より関連が深いと言える。クォンは、パク・サンヨンなどの研究者たちによるカン・ギョンエについての、最近のポストコロニアル批評や、女性作家たちの経験に着目するポストコロニアル理論の成果から、もっと学ぶところがあったように思う。そうすれば、ジェンダーの問題が、カンの「マイナー文学作品」への重圧となっただけでなく、植民地時代とそれ以降の読みの実践を変えたことを考慮できたはずである。

「先進国 ("metropolitan") の批評家」と自ら称し、東アジア文化に学術的な興味を持つ者として、クォンは、ポストコロニアル理論の形而上学的な形式主義が、史実を抹消する危険性を秘めていることを、より強く意識しておくべきであった。もちろん、韓国には、独裁主義・反共産主義・検閲・有事における国民の大量動員など、ポストコロニアル批評とは比較にならないほど恐ろしい、植民地時代以来の産物が残存した。そして、これら植民主義の残骸物は、左翼的な文芸批評の伝統―これは単純に「ポストコロニアル制度」として片づけられないものだ―に歴史的な圧力をかけてきたのだ。

韓国が独裁体制から解き放たれた80年代後半、日本語の文献や、北朝鮮へ亡命した植民地時代の朝鮮人作家の作品の出版が解禁された。そして、植民地朝鮮の記憶はなかったことにされ、植民地時代、日本統治のもたらした利益を享受していたエリート朝鮮人の子孫は、80年代当時にも同様の恩恵を受け続けていたにも関わらず、その事実を認めようとはしなかった。しかし、1930年代に、朝鮮語文学を侮蔑するような評論を発表していた板垣直子 (1896〜1977年) のような帝国主義の批評家と、イ・サンギョンのような、独裁政権崩壊直後の韓国で革新的な真正性を追い求めた、フェミニスト研究者の草分けとも言える人物の献身的な努力を、同列に扱うのは説得力に欠ける理論である。クォンの「ポストコロニアリティのパラドクス」に関連した議論に見られる微々たる真実が、真に有意義なものとなるためには、そして (クォン自身が熟知しているように) 日本帝国の文芸評論家たちが、朝鮮人作家たちを二流と見做したその傲慢さから解放されるためには、著者の主張は、既存の朝鮮ポストコロニアル文芸批評の歴史的観点からの正確な検証と、その多様性および豊かさを踏まえた上で、実証されなくてはならない。

多くの読者が、『親密な帝国』におけるカン・ギョンエ作品の読まれ方や、著者が最終章において述べている、植民地時代とポスト植民地時代の文芸批評における、皮肉とも言える類似点に落胆させられる可能性があることは否めない。しかしながら、それと同時に、読者は、本書が提供してくれている、後期植民地朝鮮文学の緻密な分析に深く同意し、本書の歴史的・文学的価値に感銘を受けることであろう。

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福田哲平
2020年にポートランド州立大学にて日本文学の修士課程を修了。2021年秋からオレゴン大学にて博士課程を開始予定。主な研究分野は日本の詩や歌、マンガ、および季節や時の移ろいに関連する日本の美学など。

Teppei Fukuda
Mr. Fukuda earned his M.A. in Japanese from Portland State University in 2020. He will start his doctoral study at the University of Oregon in the Fall 2021. His research interests include Japanese poetry, manga, and the aesthetics of seasons in modern Japan.