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「垣間見」の再検討

吉海直人

はじめに

平安朝の物語文学研究、中でも『源氏物語』研究において、「垣間見」という視点が有効であることに異論はあるまい。というのも、深窓の姫君との視覚的な出会いがなければ、恋物語は始まらないからである。もちろん現実には親同士の決めた結婚も少なくないだろうが、それでは心の時めきがないので、恋物語として成り立たない(葵上がその好例)。

そこで私は「垣間見」を学術用語として据え、「垣間見」論に特化した『「垣間見」る源氏物語』(笠間書院・2008)をまとめてみた。もっとも「垣間見」が容易に可能であれば、その行為は魅力的なものとはいえまい。だから容易ではない「垣間見」が設定(工夫)されることで、恋物語を展開させる手法が案出されたのであろう。偶然の出会いこそは、物語の物語たる所以ともいえる。

平安朝文学を専攻する研究者にとって、これは半ば常識ともいえることであった。ところが平安朝以外、例えば上代文学とか近代文学において、そんな常識は一切通用しない。それどころか、いわゆる「覗き」はマイナス要素(軽犯罪)とされる類のものであった。そしてそのことは外国人研究者や留学生の見方も同様であった。そういった点についての国際的な理解も必要であろう。

一、国際的な「垣間見」論のために

さて、『源氏物語』の「垣間見」といえば、王朝の風俗から恋物語展開の方法として昇華させた今井源衛氏の御論(「古代小説創作上の一手法―垣間見に就いて」国語と国文学25-3・1948年3月)が真っ先にあげられる。私自身、今井氏の御論が高く評価され、既に通説として扱われていたことで、批判や検証することなしにそのまま受け入れ、自分の論に援用してきた。ところが研究を続けているうちに、いくつかの気になる点が浮上してきたのである。

まず「垣間見」という行為に対する現代人のとらえ方について、特に外国人留学生の異常な嫌悪・拒否反応に気が付いた。日本における平安朝の物語文学では常にプラス評価されている「垣間見」であるが、外国人の目にはマイナス(軽犯罪的行為)として映るからである。そのため「垣間見」はしてはだめだという答えが返ってくる。

このことは当然のことながら『源氏物語』の英訳にもかかわってくる。「垣間見」の英訳として、「ピーピング」という単語が用いられているらしい。これは「ピーピング・トム」、すなわち日本で言う「出歯亀」(覗く人)に当たるものである。しかしこう訳してしまっては、『源氏物語』の手法たる「垣間見」も台無しであろう。これを異文化体験と言ってしまえばそれまでなのであるが、外国人にどのように説明すれば、恋物語展開の方法として正当に理解してもらえるのだろうか。これは『源氏物語』の国際化において、避けて通れないものでもある。

それは外国の評価だけではなかった。日本の歴史の中でも、評価の割れが存在していた。歴史的に調べてみたところ、平安朝の物語に特化されている手法であることが見えてきた。古く上代文学を繙くと、もちろん「垣間見」という言葉など一切用いられていない。しかも恋物語の展開どころか、逆に「見るな」の禁忌(タブー)・習俗として用いられている。要するに「見てはいけない」という禁忌を守れず、見てしまうことから不幸な展開が予想されるのである。外国文学でも、たとえばシャルル・ペローの童話『青髭(ひげ)』の嫁殺しの話などは、これに近いといえる。

また説話文学(口承文学)においては、見ることによって相手の正体を見破る、という独自の展開になっており、これには「目の呪力」という信仰的なものが前提となっている。その意味では、上代文学における「見るな」のタブーに通底するところがある。こうしてみると、平安朝物語における「垣間見」は、かなり独自の(他と乖離した)意味を担わされていることがわかってきた。

もちろん、平安時代の「垣間見」だけが異質であると断言できるわけではない。物語作者が「見るな」のタブーを逆手にとって、それを物語展開の手法に見事に再生させたとしても、習俗的なタブーが完全に払拭されることはなく、どこかしらに付きまとうこともありうる。だから平安時代の「垣間見」の背後に、そういった禁忌が付着していたとしても、それを否定するつもりはない。ただし禁忌とは異なる視点こそが、方法としての「垣間見」に重要であることも、また事実なのである。

二、用語の「垣間見」と概念の「垣間見」

あらためて「垣間見」の用例を調べてみたところ、知名度の高い割に用例数はかなり少ないことがわかった。前述のように上代文学には例がなく、初出は平安朝の『竹取物語』である(平安朝語)。『源氏物語』にしても、わずかに六例しか用いられていない。それにもかかわらず「垣間見」論が可能なのは、実は「垣間見」の用例だけを忠実に分析検討しているのではなく、用例とは無縁に「覗(のぞ)く」や「窺(うかが)う」・「見る」などをひっくるめて、「垣間見」の概念を構築(幻想)しているからである。もちろん今井論も例外ではなかった。

というより「垣の間から見」ることには限界がある。むしろ垣間からの「垣間見」は少ないので、もっと広がりのある「垣間見」を想定せざるをえない。当然ながら、必ずしも恋物語展開の契機として機能していない例も多い。また興味深いことに、最も原初的かつ典型的な「垣間見」の例(核)が不在であることもわかってきた。どうやら従来の「垣間見」論は、概念つまり「あらまほしき幻想」から出発していたようである。そのために多くのノイズ(それに合わない例)が抹殺されていたのである。

ついでながら、「垣間見」論の嚆矢(こうし)は決して今井論文ではなく、もっと古い明田米作氏(「源氏物語の垣間見」『日本及日本人』1927年10月)であることも顕彰しておきたい。明田氏は『源氏物語』に存する「垣間見」場面十数箇所から、代表的なものとして野分巻における夕霧の紫の上「垣間見」及び玉鬘・源氏「垣間見」、橋姫巻における薫の大君・中の君「垣間見」、若菜上巻における柏木・夕霧による女三の宮の「垣間見」、浮舟巻における匂宮の浮舟「垣間見」、空蝉巻における源氏の空蝉・軒端の荻「垣間見」、蜻蛉巻における薫の女一の宮「垣間見」、常夏巻における内大臣の近江の君「垣間見」を紹介しておられる。ここに『源氏物語』の主要な「垣間見」場面はほぼ網羅されていたのである。

もちろん内容としては概説に近いレベルなので、方法論として提示されている今井氏の御功績とは較べようもないが、しかし今井論が嚆矢ではなかったという事実まで捻じ曲げてはなるまい。また今井氏の後に、篠原義彦氏が「源氏物語に至る覗見の系譜」(『文学語学』68・1973年8月、『源氏物語の世界』近代文芸社・1993年所収)を提起されていることにも言及しておきたい。篠原氏は対象を「覗き見」にまで拡大することで、「垣間見」より広い世界を論じておられる。

その点で今井論への批判が十分可能なはずだが、何故か篠原氏は今井論を一切引用されておらず、それが惜しまれてならない。篠原氏によって今井論批判が行われていれば、もっと早い時期に「垣間見」論の再検討が行われていたに違いないからである。結局、篠原論は、今井論の再検討にはつながらなかった。それもあって研究者に参照されることも少ない。

三、これからの「垣間見」論

さて、私の行った「垣間見」の再検討は、当然のことながら今井氏の御論から多大の恩恵を受けており、それをさらに発展させるために次のような提案を行っている。

  1. 「垣間見」には狭義と広義の二義が存している。狭義では既に閉塞しているものの、広義には「垣間見」という用語も不要であり、また恋物語の展開の契機であるか否かも問題ではないので、まだ再考の余地が残っている。今後一層、視点論や語り論・絵画論などとの融合による展開が期待される。外国における論も参照すべきであろう。
  2. 従来のような、見る側と見られる側という一方通行ではない「垣間見」の存在を明確にする。それはまた、女性による男性の「垣間見」の検証とも関わる。そこから双方ののぞきっこ、あるいは見る側と見られる側の逆転現象、見られることによる評価、さらには見られる側の演技の可能性も浮上してくる。さらに演劇的効果も考えるべきである。
  3. 視覚のみならず聴覚の重要性をも再確認する。従来は「垣間見」と立ち聞き(垣間聞き)を区別していたが、それを同時並行・相互補完作用として考えてみるべきである。むしろ「垣間見」に聴覚情報は必須だという提案である。
  4. 同様に嗅覚についても重視する。「垣間見」における嗅覚は、見る側の存在証明として機能しているからである。

こういった点を具体的に本文に即して分析・考察していくことで、通説化されていた今井論への批判が可能となるのみならず、平安朝の特殊な手法としての「垣間見」論が切り開かれる。それは、今井論を安易に継承してきたこれまでの「垣間見」論への反省・警鐘でもある。徹底分析・再検討を通して、「垣間見」論の有効性はさらに増加するに違いない。

特に「覗き」に付与されている禁忌あるいは犯罪性を、平安時代の「垣間見」論にあてはめるべきかどうか、早急に議論すべきである。そうすることが、今井氏の学恩に報いることになるし、新たな「垣間見」論の始発につながるからである。

なお2で絵画論に言及したが、「垣間見」は主人公の視線を通して物語を描写する手法でもあるから、必然的にビジュアル(絵になりやすい)という特徴を有している。そのため源氏物語絵巻や源氏絵にしばしば「垣間見」場面が描かれている。「垣間見」論は絵画論など他の研究法ともつながりうるものなので、今後は総合的複合的な展開が望まれる。